フードライターが嚥下食に興味を持った理由①
- 小西由稀
- 2024年3月27日
- 読了時間: 6分
この一皿に誘われ、2月中旬の東京に出かけた。
〜蝦夷鹿のムースと北海道産男爵芋のピューレ ケセラ仕立て〜

「話題のフレンチ?」と思うかもしれないが、この料理はエゾシカを活かした「嚥下(えんげ)食」。
噛んだり飲み込んだりする一連の動作を「嚥下」という。加齢や病気でその機能が低下した方の状態に合わせ、食べやすいように工夫&調理した食事が嚥下調整食(嚥下食)。「やわらか食」とも呼ばれている。この嚥下食が今、大きく変わろうとしている。
※この料理については、「フードライターが嚥下食に興味を持った理由②」へ
呼吸を止めて飲み込む、嚥下という仕組み

亡くなった祖父母や父が嚥下食にお世話になった記憶がほぼなく、私自身、嚥下食は「ペースト状の食事」くらいの認識しかなかったった。
故郷・北海道室蘭市で、地域として嚥下食に取り組む「ケセラネットワーク」を取材する機会をいただき、その認識は大きく変わった。
後述するが、食べることを支える多業種の仕事を知り、その思いに触れたこと、またケセラネットワークが開発した嚥下食メニューを食べ、想像以上においしかったことで、嚥下食に大いなる可能性を感じ、急に気になる存在になったのだ。
公私で食べることを楽しんでいるのに、嚥下という機能について何も知らなかったことや、おいしく味わえる環境がQOLにかかわることをあらためて知ったのも大きかった。
ちなみに、嚥下は呼吸から0. 5秒だけ時間を借りて行われている。飲み込むたびに呼吸を止めるのは人間だけの仕組みなのだとか。咽頭をふさいで息を止め、食道が開いて、食べものや飲みものを送り込むのだが、この嚥下反射が加齢などで遅くなると、気管に入り誤嚥(ごえん)してしまう。50歳も半ばになると誤嚥で咳き込む経験が何度かあるが、これも加齢の影響かと、ドキッとした。
嚥下には唾液もとても重要。食べものを飲み込みやすくするだけではなく、味覚を感じやすくする助けをしたり、消化作用、自浄作用、抗菌作用もあったり、歯の修復にも活躍。唾液にこんなにも役割があったとは! すごいぞ、唾液! また、口の中が乾燥していたり、汚れていたりすると、「おいしい」と感じにくくなることも、初めて知った。
誰が食べてもおいしい嚥下食を地域の文化へ

ケセラネットワークは2023年に室蘭市で発足。
「健」康で「楽」しい食事を「摂」れれば、大概のことはなんとかなるよ。まさにケセラセラ!
コンセプトは「ハレの日は、嚥下に障害を持つ人も持たない人も、同じ料理を囲んで楽しもう」。
そのため、医療や介護の分野で食べることを支える専門職と、飲食店を経営する料理人がタッグを組み、「誰が食べてもおいしい嚥下調整食=ケセラ食」の開発に乗り出した。
メンバーは脳外科医、歯科医、言語聴覚士、管理栄養士、歯科衛生士、看護師、社会福祉士、料理人といった専門職に加え、市民も参加する任意団体だ(私も会員)。
食べることを支えるさまざまなプロたちが、職場や職域を越えてゆるやかに連携し、将来的にはケセラ食やそのネットワークを地域の食文化に育てていこうという息の長い挑戦だ。
みんなで同じものを食べて祝いたい

ケセラネットワーク会長の音喜多さん
発足のきっかけは、副会長で社会福祉士の波方元希さんのある経験から。
高齢者施設で米寿を迎えた利用者を祝うため、家族が集まった。その方は嚥下機能が低下していたので、家族がペースト食を持参。自分たちはお祝いの食事を広げたものの、利用者の寂しそうな表情に気づき、会は早々にお開きになった。それはそうだろう。自分のお祝いなのに、家族と同じものを食べられない悲しさや切なさはいかばかりか。
その様子がずっと心に残っていたという波方さん。「ハレの日はみんなで同じ料理を」という思いが芽生え、行きつけのお店・プライベートキッチン「!(おときた)」の店主、音喜多哲朗さんに相談したのがはじまりだ。
音喜多さんは室蘭市の人口減少や高齢化の進展に、外食産業として危機感を抱いていたこともあり、この話に可能性を感じたという。子どもから高齢者まで、嚥下障害がある人もない人も、「おいしく楽しめる嚥下食」を目指す同会を波方さん、言語聴覚士の佐々木聡さんと共に結成。音喜多さんは会長を務めることになった。
ケセラ食でレシピ開発
後日談だが、音喜多さんは当初、「やわらかい料理を作ればいいと思っていた」と打ち明けてくれた。「茶碗蒸し※なら食べやすいと思ったら、誤嚥の危険性があることを知り、これはとんでもなく難しいところに足を踏み入れてしまった」と思った。それでも料理人の探求心ゆえか、「知れば知るほど面白くなっちゃってね」と、笑顔で話す。
※茶碗蒸しは卵液が固まった部分と出汁などの液体に分かれ、物性が異なるため、誤嚥につながりやすいそうです。
ケセラ食は、「噛みやすい料理=ケセラCAMU」と「飲み込みやすい料理=ケセラRAKU」に分けてレシピ開発しているのが特徴。

画像手前がケセラ食の室蘭やきとり。左上がケセラ食にしたサバの干物。右上はタラの白子(タチ)を卵豆腐風に
室蘭のソウルフード「室蘭やきとり」のように噛みにくい料理でも、豚肉(室蘭のやきとりは豚肉を使用)をすり下ろした玉ネギや炭酸水に漬け、蒸し上げ、炭火で炙れば、舌で押すだけで肉の繊維がほどけるほど柔らかい一品になる(ケセラCAMU)。もちろん、室蘭やきとりを味わっている満足感もしっかりある。
サバの干物は、旨味が凝縮したサバの干物の身と豆腐をミキサーにかけ、皮の上にのせ再形成し、蒸し上げる。仕上げに皮目を炙り、とろみ剤と塩を加えた大根おろしをかけて完成する(ケセラRAKU)。嚥下機能の状態によっては皮は食べられないが、炙られた皮がついているだけで、見た目も食欲も変わってくる大切なポイントだ。
こんな風に試作、試食、チェックバックを繰り返しながらメニュー開発を進めている。
ケセラ食で叶える幸せな時間
ケセラネットワークの噂を聞き、在宅で介護生活を送る女性の誕生会の依頼があった。その方の嚥下機能に合わせた、お祝いの食事内容を検討。もちろん、ご家族も一緒に楽しめるケセラ食を、だ。試作と試食を重ね、その日を迎えた。
普通食が難しくなった女性を気遣い、ご家族は女性の前で食事をすることは控えていたという。だからこそ、「同じ食事を一緒に食べることができて本当に嬉しかった」という感想に、メンバーは遣り甲斐と喜びを感じた。また、女性がいつも以上の食欲を見せたこともまた、ご家族にとって喜びであり、希望や可能性を見出せたのではないかと思う。
大切な人と同じテーブルを囲み、同じ食事を楽しみたい。当たり前に思えることが、高齢になったり、障害を持ったりすると難しくなってしまう。その願いを叶えるべく活動しているケセラネットワークを応援したい。素直にそう思ったのだ。
「最期の晩餐に何を食べたい?」なんてことを聞いたり、話したりすることはよくあるが、高齢になり、嚥下機能が低下すると、自分の口でその晩餐を楽しむことは難しくなってしまう。
私自身、仕事で魅力的な飲食店や美食を取材したり、食べたりする機会が多い分、高齢化が進む今、食べることを楽しむ嚥下食の可能性やそのQOLについても考えていきたいと思っている。
「フードライターが嚥下食に興味を持った理由②」では、嚥下食メニューコンテストの模様を書いています。こちらもお読みいただけると幸いです。

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